心の手帳 41号(2013年6月)

春と夏の狭間

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 春がなかなか来ないと言っているうちに一気に春が通り過ぎて夏がやってきたようです。雪解けの後に草花がほんのり暖かい風に揺られている、というのが北海道の春らしさのように思います。そんな春の空気や匂いに触れると、ホッとした気持ちにさせられます。  そのような季節が一気に過ぎ去ってしまい、少し寂しく感じている方もいるのではないでしょうか。とはいえ、昼間はジリジリと陽が差してセミが鳴いていても、朝夕の空気はひんやりとしていて、一日の間に春と夏を味わていると言えるかもしれません。こんなふうに季節が言ったり来たりするのを感じているうちに、いつの間にか四季が巡り次の春を迎えるのでしょうか。

ルンバを買いました

久蔵 孝幸〔心理臨床センター研究員?臨床心理学科教員(臨床心理士)〕
 ルンバというのは、もちろんご存知の方もいらっしゃるというのは、丸くて薄っぺらい掃除機ロボットです。部屋の中をあっちに行ったりこっちに行ったりして、掃除をしてくれるのです。 それだけのロボットなのですが、実際には思いがけなくその動きが愛らしくかわいいのです。 機械的に整然と動くのではなく、むしろ同じところを何度も繰り返して掃除してくれているかと思えば、まっすぐこちらにトコトコと向かってきたりして、いかにもロボットらしい動きとは違ってなんとも無駄の多いように見えるのですが、かわいい。

 そういえば、カウンセリングロボットというものもありました。古くはもう60年前、Elizaというプログラムで、言葉を入力すると対話のように言葉を返してくれる、その繰り返し。実際は変な応答がたくさn出てきたりして、実質のない言葉遊びのパロディプログラムだったようですが、実際にカウンセリングに使えるならばマンパワーやコストの面でよいだろうという野心を持たれた方も出てきたようです。 でも今はそういう面ではひっそり下火で細々と研究がされている様子。

 ElizaからはEliza効果とよばれるような、機械の振る前をあたかも人間の振る舞いのように人が感じてしまうという現象も確認されました。 ルンバを見てかわいいのと同様です。人って、目前で行われていることに対しては、なにかの種類の期待、というか、自分にむけての関わりとしてのなにか意図性を読みとろうとする性質があるのでしょうね、相手が誰でも何でも。

 僕らは面接の仕事をしていて、面接を受けている人のいくつもの「期待」の中で、言葉以外の部分でも仕事をしていることになるだろうと思います。ちなみに最近のプログラムによるカウンセリング?では、半分くらいの人には何らかのよい働きがあるという話もあるようです。 残りの半分の人は、言葉では満足しなかったのか、ありは「期待」に応えられないロボットだったのか。僕らの仕事でも、ロボット以下という判決が下されないよう、当然ロボット以上の効用であるにはただの言葉遊びにとどまってはいけません。 さて、ロボットに負けないようにがんばらなくちゃ。え? 掃除の力? 掃除の能力では負けているかな。負けてもいいか。

実習生(大学院生)のつぶやき

 最近、日が暮れるのがとても遅くなり、夏の訪れを感じています。
 私は一日の終わり、帰宅するときに必ず一度、空を見上げます。雲の流れがはやい日、星がきれいな日、遠くがまだ明るい日、はたまた真っ暗な日。  毎日空の様子は違っています。そんなとき、ふと、離れた土地で暮らす知人たちを思い出します。みんなは今、どうしているのだろう。そんなことを考えます。  距離があり、普段はめったに会えないため、その人たちのことを思い出して、少しだけさびしい気持ちになりますが、その反面、空が世界をつないでいることを実感します。  私たちはどうしても物理的な距離で親しみを感じることが多いですが、心理的な距離はそうとは限らないものだと思います。今夏、彼らの会えることを楽しみに、今日も空を見上げながら家路につきます。
(A.T.)
 
 
 
イラスト:ふわふわ。り 
挿絵