地下鉄に乗って座っていると、ついつい性分なのか<人?観察>をしてしまいます。しかしながら、気が付くと最近はほとんどしなくなりました。目の前のスマホにくぎ付けの私、そして周りの方。そんな自分を棚に上げて、スマホに夢中のお母さんに一生懸命声をかけている子ども、ひたすら画面を見ながら、生返事を繰り返すお母さん、そんな光景を見ると、少し寂しくなります。スマホが普及していない頃は、乗り物の中では、親子の楽しい会話があちらこちらで聞こえてきたものです。 本来子どもには、自分が今体験していること、今見たもの聴いたもの、そして楽しかったこと、面白かったことを思い出した時、身近な大人にそれを伝え、共有したいという欲求が備わっています。1 歳を過ぎると、欲しいものを要求するためではなく、自分が関心を持ったものを知らせるために指差しをするようになります。それに対して養育者が「○○だね」と応えていくことで、言語や社会性の発達が促されていきます。
ある日曜日、お母さんと小学生の低学年と思われるお嬢さんが、ちょうど向かい側の席に座っていました。お嬢さんはそれまで会っていたと思われる誰かからプレゼントされた袋の中を見たいと言って、中のものを取り出しました。可愛らしいTシャツが出てきて、「わー、かわいい!欲しかったの。こういうの。」と言って、それを胸に抱えて、足をバタバタさせて喜びを全身で表現していました。それを見て、お母さんも同じように「ほんとだ。かわいいねー。良かったねー。」と嬉しそうに応じておられました。終点駅まで楽しいおしゃべりは続いていて、その間、お母さんがスマホを取り出すこともありませんでした。終点駅で皆が降り出した時、私の近くに座っておられた年配の女性が「とっても楽しい一日だったのね。よかったわね。」と声をかけて降りられました。同じ車両にいたスマホを見ていなかった人たちは、皆きっと、この親子の会話に癒されたはずです。「楽しい一日のおすそ分けを頂きました。ありがとう。」と私も心の中でつぶやきました。