心の手帳 68号(2022年11月)

ちいさい秋

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 街を歩いていても秋を感じられることが増えてきました。童謡に「ちいさい秋みつけた」という曲がありますが、皆さんは今年どのような秋を見つけましたか?私は街路樹や近くの公園の木々が赤くなってきていることや、秋限定と書かれたさつまいもや栗のお菓子がスーパーなどに並んでいるのを見て、秋が来たのだなあと感じました。特にここ最近は急に気温が下がり、峠では雪が積もる日もあるようです。早くも冬が近づいてきている気がしないでもないですが、感染症を含めて体調に気を付けながら、ちいさな秋をたくさん見つけて楽しめるといいなと思います。
 

ありふれた日々-「いってきます」と「ただいま」

斉藤 美香(心理臨床センター研究員?本学教授)
 夜明け前、御飯のスイッチを入れ、洗濯機をまわす。それからは、家中バタバタ走り回って家事仕事、合間にメールチェック、子どもを起こしに行っているうちに、スープが鍋から吹きこぼれ…あれれ、「自力で起きてよ!」と子どもに文句。「こんなところに新聞が広げっぱなし」???次々イライラの種が発見される。そうこうしているうちに、朝の血圧を計るのを忘れていたことに気づき、案の定、高血圧。朝食の用意ができて、ようやく、家族が揃って、賑やかに10分間の朝ごはん。おしゃべりしているうちに、さっきのイライラは消え、いつのまにか大笑い。その後は、それぞれが「行ってきま~す」と散っていく。
 夜になって、またみんなが「ただいま~」と帰宅する。慌ただしく夕食の支度、おしゃべりしながら御飯を食べたら、もう寝る時間が迫っている。あっという間に1日が終わる。毎日毎日、この繰り返し。何の変哲もない、ありふれた日々である。
家族の家事の協力が少ないとか、新聞が散らかりっぱなしとか???自分がしてもらっていることは都合よく忘れ、文句を言っては、いつのまにか機嫌が直っている毎日である。これが当たり前の日々である。
しかし、当たり前でない日々が突然やってくるかもしれないことを、頭のどこかでは知っている。テレビで事件?事故?災害のニュースを見ると、このありふれた平凡な日々のありがたさを一瞬は感じるけれども、また相変わらず、感謝より不満をぶつける日常がやってくる。
 「行ってきます」と「ただいま」がある生活がどれほど幸せなことか心の底から思い知らされることがあった。ありふれた日々の幸せを身に染みて感じている。大事な人を亡くしても、思い出の中のありふれた日々の光景、声、会話は色あせないで、心の中で生き続けている。
 「ただいま~」の声が聞こえると、この幸せに感謝しながら「おかえり~」と言える日々が新たに始まった。

実習生(大学院生)のつぶやき

 最近近所の本屋さんに行く機会があったのですが、そのお店のポイントカードの有効期限が切れていました。私は小さいころから本を読むのが好きで、このお店にもよく本を買いに行っていたのに、期限が切れるほど行っていなかったことに驚きました。そういえば最近は時間があるとスマホでSNSを眺めていたり、パソコンやゲーム機でゲームをしていたりすることが多く、確かに本を読む機会がなくなっているなあと思いました。SNSやゲームも楽しいですが、本を読むことでしか得られないものもあると思っているので、今回のことを機に昔よく読んでいた本を読み返してみようと思います。                       (S.N)